2008年02月19日

ミヒャエル・エンデのモモ

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児童文学の名作ですが、この年になってはじめてキチンと読みました(今でこそ読書が趣味ですが、子どもの頃って本当に活字を読まなかったんですよね。マンガばっかり読んでましたから)。

『エンデの遺言』を先に読んでいたこともあり、現代の資本主義経済システムに対する批判的メッセージが印象に残りましたが、それ以外にも教育学、深層心理学に通じる本質的なメッセージが随所に盛り込められていたと感じました。

灰色の男たちは僕らの内面にある、未来に対する恐怖心、過剰な取り越し苦労、不安からくる貯蓄癖などの象徴のように思えました。

確かに、それらが先にありきではモノゴトを心底楽しむことはできないでしょうし、心配事から逃れることを目的にいくらがんばってみても、それで根本的な心配事がなくなるということはないのかもしれません。

そういう意味でも“フロー理論の内発的動機からスタートする”という考えはつくづく本質的だと思っています。

また、エンデの遺言のなかでも触れられていましたが、環境問題に対するメッセージも受け取れると思います。時間を先取りして未来につかうべき資源をかき集め、大量消費する。経済は活性化するでしょうが、当然の結果として資源の枯渇を早めたわけですね。

システムが現象だとすれば、その本質はそれを生み出した人間の心です。『人ひとり寝るには、たたみ一畳で十分』といったような、本当に必要な分だけ消費して、それで満たされることの大切さを改めて考えさせられました。
posted by 堀 雅史 at 12:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月09日

野口晴哉先生の『風邪の効用』

野口晴哉先生『風邪の効用』を読みました。甲野善紀先生のご著書や随感録でいくつかのエピソードが紹介されており、猛烈に興味をひかれました。

『風邪を引く前には身体が歪んでくるのだが、風邪が治ると脱皮した蛇のようにサッパリし、新鮮な顔つきになる。風邪は身体の掃除。ちょくちょく風邪をひく人のほうが大病しない。だから無理に治そうとしないで、上手に経過させるのがいい。』というお話。

実にごもっともです。行間のいたるところに説得力のある健康観が散りばめられており、おおいに啓発を受けました。偉大な先人の言葉に触れるのはいいもんです。

風邪に限らず、全ての病気、症状は身体からのなんらかのシグナルなんですよね。

実は僕、正月に眼を悪くしたんです。あまりにも長時間本を読みすぎたのが原因で、角膜に炎症がおこり、潰瘍になっちゃったんです。痛くて眼が開かなくなりました。あれ以上悪化していたらマジで視力がヤバかったらしいです。

たまたま刺激的な本にたくさん出会ってしまい、それらからの学びが面白すぎたんですよね。そんな状態でも正直もっと読み続けたかったです(これってアホですかねぇ?)。

なのに、眼が開かないんじゃ仕方がない。というわけで、それまでに読んだ内容を頭の中で反芻することにしました。

そうすると、そこでまたあらたな気づきやひらめきが得られ、意外にも一気に読みづつけるよりはるかに有意義な学びが得られたんです。

そうして休めているうちに眼はすっかり回復し、今では仕事にも日常生活には支障はありません。そして、それ以来本の読み方が変わりました。むさぼるように読むよりも、ほどほど読んだところで眼をつむり、頭のなかで内容を噛み締めるんです。そのほうが、はるかにいいヒラメキが沸いてくるということに気づきました。

それに「今日の眼の状態はどうかな」と、自分の身体との対話を大切にするようにもなりました。

というわけで眼を患った結果、以前よりも自分の身体と仲良しになり、さらに有意義な学習法まで会得してしまったわけです。

腰痛、五十肩、膝の痛みも、全てなんらかの意味があるのだと思います。それらは忌み嫌うものではなく、心身を変革するための貴重な呼びかけだと思います。

人の身体がもともと備えている機能は一般的に考えられている以上に偉大なものです。頭で考えるよりも、身体が感じたことのほうがまっとうであることも多々あるはずです。理性的な解釈も大切ですが、本能的な感覚も確かなはずです。頭でっかちに考えて、その呼び声に対症療法をしてしまうのは、もしかしたら浅知恵かもしれません・・・。

身体をリスペクトする気持ちって大事です。改めてそう思う今日この頃です。


posted by 堀 雅史 at 19:02| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする