2011年02月19日

言葉は死物

昨日は鍼と漢方の勉強会にいってきました。

夜スタートの勉強会ですが、いつもながら実に内容の濃ゆい、有意義な時間でした。今回は大きな発見がありました。

“言葉は死物である”ということです。

東洋医学では、用語は象徴的な意味合いで使われる場合が多いのですが、例を挙げますと『心(しん)』という言葉。これは西洋医学でいうところの心臓のことだけを指しているわけではありません。精神の働きや、循環器系の働きなど、『心』にかかわる現象全てを含有して『心』といっているのです。

また一方で、『心』という言葉が具体的な意味を示す状況もあります。各論として限定されたテーマの範囲内で使われる場合には当然そうなります。

言葉の意味は文脈によって変化するので、どう解釈するかは受け手の力量次第というわけです。

東洋文化が魅力的でありながらも、どこか解りにくい所以のひとつがこの言葉というものの認識の違いなのだと感じました。西洋文化では物事を論理的に捉える性格が強いですから、言葉の意味が固定していなければ論理の立てようがありません。

ですが、言葉は説明したい“元の現象”を切り取った一面なので、使われる文脈によって意味は変化しますね。それを固定させようとすることは“元の現象”と断絶することですから、文字通り“死物”と言えるわけです。

これは、ある意味当たり前の事なのかもしれません。これを読んだ方は「まぁ、そうだね」と思われるでしょう。しかし、日常の自分の認識を省みると、物事を固定的に捉えていることがなんと多いことかと思います。

もちろん、それが悪いわけではありません。それが無かったら学問などできません。しかし、あくまでそれは“限定された状況下だけで通用する意味”であるということを失念してしまうと、とんでもない勘違いをするということです。

でも僕達は日常において、そんな勘違いをけっこうしているのではいでしょうか。それに気付くことって、案外生易しくないと思います。

伝言ゲームで、一人目の言葉を直に聞いたのは、二人目だけです。三人目以降は、一人目の言葉にはまったく触れていないのです。三人目以降にも正しく伝わるためには、前の人の“言葉”を聞くのではなく、前の人が言葉で表現している“元の現象”を察するしかないはずです。それをまた次の人に伝えるためには、必ずしも字面の上で同じでなくとも、伝える人にとって表現しやすく、受け取る人にとって理解しやすいカタチにしてもよいのだと思います。カタチは違っても“元の現象”は死なないはずです。

いささかややこしい話だったかもしれませんが、僕が取り組んでいるテーマにおいて、この気付きは極めて大きな意味を持つと思ったので、つい書きたくなってしまいました。

この記事へのコメント
言葉には温度もあり色も香りもあるからね。またメール文と違って手書きの文にも味わいがある。それはやっぱ生きてるからなのかもしれないね。言葉を発した途端に自分の思いとの差に気付く事もあるし・・特に女性なんかは言ってる言葉とお腹が全然違っていたりするし・・・
Posted by nakayon at 2011年02月21日 00:17
nakayonさん

どうもお久しぶりです。ブログ、読んでくださって、ありがとうございます。

女性については同感です・・・。(笑)

“言葉の色と香り”を嗅ぎ取らないと、ほんとにコミュニケーションが成立しませんよね。
Posted by 堀 雅史 at 2011年02月21日 09:15
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/186681224

この記事へのトラックバック